辛口日記

かなり辛口ですのでご注意ください。

テレビ鑑賞

「THE MUSIC OF NOTE サニーデイ・サービス」曽我部がサニーディの活動を振り返る。ホフディランのコメントも。

ニャンちゅう宇宙」日向未来が新MCに。曲はすずか時代から変わってなかった。

「カンフーヨガ」ジャッキーチェンと若手美形男女たちの冒険活劇映画。インドと中国の共作か。カンフーや仏教の思想、ヨガ、最後はみんなでダンス。ドローンやハイテク機器を使った氷河や砂漠の撮影やドバイでのスーパーカー破壊しまくりのカーチェースなど豪華な映画。インド娘の胸ぽちも。シナリオはDEJAっぽい。

「ジャネットジャクソン 私のすべて」2017年から5年かけて取材。ジャネットや兄や姉たちのインタビューでジャネット障害を振り返る内容。ランディとジャネットのインタビューが中心。ジャクソン9兄妹末っ子。インディアナ州ゲーリーで生まれる。殺人やギャングの多い町。6人男3人女。60年代公民権運動。兄のジャクソン5モータウンでオーデ。衣装は母の手作り。連続で100万枚以上の売り上げ。1971年ロスに転居。プールやコートもある豪邸。パーティにモータウンや映画スターなど有名人が集まる。ボウイは兄に薬を勧めるが兄は断る。地域では初の黒人住民で差別も受ける。ジャネットも学校で肌をこすられて色が落ちないと言われた。家にスタジオ。ジャネットは演奏旅行では留守番。父は子供たちを厳しく管理。ジャネットは7歳でベガスで初舞台。ミュージカルで育つ。仕事漬けの子供時代。ドラマ出演も。A&Mとけいやくして歌手に。ジャクソン5が父から独立してジャネットが父の管理に。父の言いなりが嫌で18歳の時、ジェームズデバージと結婚するも相手の薬物依存が判明し1年で離婚。その後、隠し子疑惑も浮上するがジャネットは口をつぐみ、姉は否定していた。マイケルとはスリラー爆売れ以降疎遠に。父からも独立し、プリンスの前座を務めるザタイムのジミーとテリーと一緒にアルバム、コントロールを制作。自らかじ取りをして1400万枚の売り上げ。ダンサーのレネと結婚。続いてじみーやレネとけんかしながらもリズムネーションを制作。社会問題を扱う内容。1200万枚の売り上げでグラミー賞も受賞。初のツアーも。高額でヴァージンと契約。ローリングストーンズ誌ではレネの手ぶらショット。レネの姿見えず誰の手かと話題に。アルバム、ジャネットは1400万枚で再びグラミー賞

「逃走中」小栗が早朝の浅草で瓦割やコマネチ。志田こはくは特技のフィギュア風回転ジャンプ。

坂本龍一 最後の日々」手記や映像でつづる晩年の闘病生活。せん妄ってのはモルヒネの影響?音楽にも耐えれらなくなり、雨の音のユーチューブをずっと聞く。退院して東京の仮住まいやNYの自宅にも。体に感じる異変をほっておいたようだ。それまで野獣のように生活してきたことを悔やんでいた。最後の作品だというオーケストラのデモも。同じく闘病中の高橋に会いに行くも入院していて会えず。高橋の死にライディーンが悲しい曲に聞こえたらしい。最後に4人の子供たちと会う。自身がかかわってきた東北のオーケストラの演奏映像にやばいとつぶやく。髪がなくなった時のためにカツラモ用意していたようだ。最後まで延命治療を行って安楽死は選ばなかったようだ。

「カンフースタントマン」香港映画のスタントマンのドキュメンタリー映画。今はゴールデンハーベストもなくなって跡地には高層ビルが立ち並んでいた。他の映画会社も廃墟のように。サモハンがボスでジャッキーが2番手だったらしい。サモハンの現場は危険な撮影が多くてスタントたちはみな敬遠。時計台からの落下はジャッキーが嫌がったがサモハンが無理やりやらせる。今は本土に規模の大きなスタント養成所ができてカンフー映画も中国本土がメインに。香港は不況。若手も数少なくなってバイトしないと食っていけない状況に。80年代の黄金期には小学生も出ていないスタントマンたちが宵越しの金は持たず飲み食いやギャンブルで高額のギャラを全部使ってした。京劇学校に通う貧しい家庭出身の子供たちが、京劇では食えず映画のスタントマンに。米国出身のブルースリーがやってきて、京劇風ではないリアルなカンフーを開発。しかし急死してしばらく業界は休止状態に。続いてサモハンがコミカルなカンフーを開発。ジャッキーも続き人気に。ケガの絶えない現場でほぼすべてのスタントが骨折や負傷を繰り返していた。半身不随や死亡したスタントも。ハリウッドから視察に来たスタッフも驚いていたそうだ。高所から飛び降りたり、焼け焦げたり、今見ると衝撃映像のオンパレード、当時は街での撮影は無許可で行っていたようだ。その後、ゴールデンハーベストは多角経営に失敗して倒産。